バハムート ラグーン
(忍術LV111-120)
ドット絵かわいい
20110209
LV120
先日バハラグをやっていたら横にいた友達が一瞬だけアサシンに興味を示してきた。そのときテレビに映ってたのは、ステータス画面で表示される大きいほうのアサシングラフィック。
マップ上に表示される小さいアサシンドット絵がおかっぱの女の子に見えるってのはわかるんだけど、このパターンは初めてだったからちょっとびっくりしました。サジンゼロシン兄弟説など考える前に女の子説を心配したほうがいいだろうか。
あとこの人、五年前ぐらいにバハラグ19章までやってるんだけど、アサシンのことはまったく覚えてない様子だった。アサシンがあんまり覚えられてちゃ仕事しにくいだろうし、一応隠しキャラってことになってるみたいだし、忘れられていたことで結果的にはサジンとゼロシンの面目が保てたわけだ。よかったよかった。
冷静な目から見たアサシンの立ち位置というかポジションというか、そこもわかってよかった。
それにしても…ゲームの会話してるとアサシンていう単語自体はわりと出てくるんだけど、サジンとゼロシンを指して「アサシン」て言うとなると話が別なもんで、すごくドキドキしました。
ほかにもなんか言われた気がするんだけど、このとき「今会話に上っているキャラクターについて、私は特別な感情を持っていません。時に好きだということも嫌いだということもなく、まあほかのキャラと同じぐらいには好きだけど、でもやっぱ忍者っぽいからちょっとはひいきしちゃうよね~、別に好きじゃないけど」みたいな顔するのに精一杯だったからあんま覚えてない。
サジンをいつもかなり紫よりで塗ってしまうんだけど、もっとれっきとした黒だよなってドット絵改めて見て思った。そんな色合いの中で、目の影と忍剣(鞘?)の切っ先が明るい紫(どピンク)なのがチャームポイント。
んでゼロシンは青。水色かな? さわやかだなあ。
ていうかあのドット絵ほんとにかわいいなー! かわいいんだろうな、かわいいんだろうな…とおそるおそる見たらやはり実にかわいかった。
わくわくアサシンふれあいランド
20110204
LV119
ゼロシンって強い心の持ち主なんじゃないかなあと最近思うまんが
(アサシンがちゃんとアサシンらしいお仕事するので血が出ます)
サジンとゼロシンの風体がいつも描いてるのと違ってます。反乱軍だの隊長だのとはまったく関わりのない時代、ゲーム中(1章以降)よりちょっと昔のふたりのつもり。
過去の中でもちょっと過去なのかずっと過去なのかを見分けられると都合がよかったのでこうなったんですが、やりすぎたため途中でぶつ切り…。
心の声も聞こえちゃうプレイヤー目線で見るに、サジンとゼロシンのどっちがアサシンぽくないかといったらどうしたってさびしがりやのゼロシンのほうになってしまいます。
ただ、サジンが裏道街道という言葉でもって己の生業を自嘲だか後悔だか悲嘆だかしているのに対し、ゼロシンは心の中ですら仕事そのものについての後ろ向きなことを一切言ってない。
友達いなくてさびしいとか孤独とかそういうのはあっても、殺人人生にはなんら思うところなし。それどころか失業に心を痛める始末。
なのでゼロシン、本人なりに充実してお仕事してるのかなあと思います。
彼らを忍術の使い手=忍者と考えてしまうと即「抜け忍死すべし」に思考が飛んでゆくので、「ほんとは足洗いたいけどそう簡単にはやめられないから続けてるだけかも」と考えたりもするのですが、サジンはともかくゼロシンはそれには該当しないような気がこの頃してきた。どういう経緯でああいう職に就いたのか知らないけど、他人にはわからない、「この仕事じゃなくちゃだめな理由」がありそうなかんじ。
友達作りの代替行為、金のため、そのほかのいろんな役得のため等々。真実はどれだろうな。
個人的には、もうとにかく金がほしい一心でアサシンやってるゼロシン、かあさんに少しでも楽をさせたいがために人様の頚動脈ざくざくやってるゼロシンが好きです。
そんなことしていながら一方では「誰かと仲良くなりたい」なんて思ってるという、そこに直れ度と理解できない度の高さがたまんない。
おまけの没箇所(ページ間特につながってません)
まんがを描く都合上アサシンの髪型に一応のイメージは持ってるんだけど、それをあんまり固めすぎてもあれだなあと思うので、過去アサシンは髪型ころころ変えて描きたい心持ち。
もしも、もしも将来的にバハラグがリメイク(的なもの)されて、さらにもしもだけどアサシンの髪型が判明したとして、その頭がどんなものであろうと柔軟に対応できるように心の準備をしておこうじゃないか…という期待と願いを込めて(あとゼロシンにはもういっここじつけの理由がある)。
普段描いてるゲーム中の時期のアサシンは当時の自分の趣味がもろに出てしまって短めの髪なんだけど(ただしゼロシンは描くたびどんどんのびている)、砂漠の人って髪長いほうがそれっぽいかなって今は思います。
メヒシバ
20101111
LV118
LV115で書いた謎の「Dafira」について、このページの下部に載ってるDafiraのことじゃないかな?との助言をいただきました。
英語に弱くて頭が爆発しそうなのだがとりあえず、「メヒシバ」という植物、もしくはその仲間のことをエジプトでは「Dafira」って言うんだよ、ってことだと解釈しました(違うかも)。
メヒシバは日本にもいっぱい生えてるらしく、なんだかこれって日本とダフィラがつながってるみたいで嬉しいなあ!
※ エジプトはダフィラではありません。ダフィラもエジプトではありません。
情報くださった方ありがとです。
本当はそこのお店にもう一回行って正しいつづりとなんの地図なのかを確かめられたらいいんですが、再訪問がなかなか難しい場所なので困りもの。地図の上からステッカーが貼られてしまったはずだからDafiraの文字を見るのは不可能かなあと思うけど、いつか行けたら、なんの地図なのかだけでもしっかり見てきたいです。パスタ屋さんだから、メヒシバとか小麦とか植物全体の分布地図かなあと今のところ予想。
母さん、ぼくのあの頭巾どうしたでせうね?
20101110
LV117
ゼロシンの、かあさんを大事にしてるところがとても好き。
私の脳内ではゼロシンすっかりマザコンになってしまっているんだけど、公式発言のみに焦点を当てた場合も仕送りしてるというのは確定なわけで、非常に見習いたいところでございます。
かあさんてどんな人なんだろうなー。性格・人柄も気になるけど、ゼロシンがアサシンやってるのを知ってるのかどうか、かあさんもアサシンなのか、って部分がすごく気になる。
そこんとこゲーム中ではわかりませんが、想像するに大きく分けて↓のみっつのパターンがあると思います。
友達ほしがったりさみしがったりする性格のゼロシンがなぜアサシンやってるのか、そこに説明がつきそうでちょっと嬉しいパターン。
この場合かあさんベテランぽいのでいくらでも稼げそうですが、仕送りが必要だってことはもう引退してるのかな。
それとも、かあさん現役だけどその収入だけじゃ足りないのかな。ダフィラの庶民はつつましく暮らしてるイメージが強いのでかあさんにもそういう地味な印象を持ってるんだけど、こうなるとすっげー金遣い荒くて指輪とかネックレスとかキラキラさせてるおばさまってのもありうるな。
それとLV114で書いたサジンゼロシン兄弟説についていただいたコメントに「もし二人が兄弟ならアサシンの家系って感じ」というのがあったので、この際とうさんもアサシンだって考えてみる、すると純血種なゼロシンが少しかっこよく見えてくるふしぎ。
この環境の懸念事項、「サジンはなにごともなくつつがなく足を洗えたのか?」。
母の心理に非常に興味がわくパターン。
かあさん、息子から送られてくる金の正体を知って苦悩したり、せなんだり。
その金に頼るしかないのか、そうでもないけどついつい頼ってしまうのか、せっかく我が子が送ってくれたものだから拒否はしないが使いもしないのか。
さらにそこから、かあさんの生活(というかゼロシンの実家の家計)は余裕あるものなのか、夜逃げ身投げ間際なのか…とどんどん想像が広がっていって息つくひまもない。
かあさんすべてを知ってるが、金の貴賎はとんと気にせず、というのもいいな。どんな家庭だよとは思うけれど、それはそれでいい。どうかしちゃっててキュンてなります。
ゼロシンがもっとも悶々としているであろうパターン。個人的にはこれが好きです。
ばれたらどうしよう、かあさんどう思うだろう、でも仕送りはしなくちゃいけない。
ごまかしてるのにぼろが出て、ばれるかばれないかのぎりぎりのとこで困り果てていたり、完璧に隠せているがゆえの罪悪感にうなされていたり。いいね。
この場合、かあさんとしてはそれほど生活に困ってなくて「別に家にお金入れなくてもいいんだよ」ってかんじなのに、息子が一方的に仕送りし続けてるのだとしたら、またこれ別方面でそそるものがあるな。かあさんを思う自分に酔って勝手に苦悩していそうでだせえ、そして良い。
お金がない!
20100924
LV116
本当に全く嬉しくないのでやってみてください。
本当に腹が立つのでやってみてください。
私は自分で頼んで友達にやってもらったくせに、「この吉元、金ではたかれて喜ぶほど落ちぶれておらぬわ!」っていう気持ちになった。
それはそれとしてビュウはそういうことナチュラルにやってくれそうな気がします。
アサシンもお金もらえるならいくらでも快諾しそうな気がします。
…とか言ってるわりにこんなの↓も描いてた。描いた時期が違うのでゼロシンの金への執着心がちょっと薄いです。
ふたりとも、そんな悠長なことじゃあ仕事が逃げるぞ。
ダフィラ王の暗殺が目的というわけではないリベロの依頼を受けてるあたり、アサシンは殺しのお仕事専門なんじゃなくてなんでも屋さんっぽいのかなと思ってます。人には言えない系のあれこれの処理をメインとしてるけど、場合(アサシンの懐具合)によってはなんでもやりますってかんじ。
関係ないけどこのビュウちょっといい人だな。ていうか普通の人だな。アサシンを軍の戦力として雇ったけど、オプショナルは頼まなかった場合の隊長ってことにしようと思いました。でも「100ピロー以上出すぐらいなら俺が食う」ということなので、まあねえ。
製作スタッフに「ドラゴンのふん食って当然」と思われてる主人公ってすごいです。
閑話休題、仕送りしなくちゃいけないゼロシンのほうががめつくて結構、ってイメージなんだけど、↓みたいな後腐れありありになるから避けられてそうだなと思う。
そんでこう↓なった。
アサシンに千円…ていうか千円分のピロー渡して「千円分喜んでみて」ってお願いしたいな。そんなに嬉しいのかよって感じなのか、そんだけかよって感じなのか、見てみたい。
「ダフィラについて……
あまりいいうわさは聞きません。」
20100914
LV115
たまーに行くごはん屋さんに地中海近辺の地図が飾ってあるんですが、その中のとある単語が気になってしかたがありません。おちおち飯も食えません。
だってダフィラって書いてるんだもん!
凝視するには難しい場所にある地図なのでチラ見が限界、よってつづりをはっきり覚えてないんだけど、「Dafira」とかそんくらいにどうやっても「ダフィラ」としか読めねえよ、っていう字面である。
しかもエジプトあたりのもろ砂漠なところに、どーん。
なんだこれは。
とりあえずDafiraで検索したところ、
しし座を構成する星のひとつ「アダフェラ(Adhafera)」の語源となっているのが、縮れ毛を意味するアラビア語「アド・ダフィラ(Ad Dafira)」
ということがわかりました。昔の人よ、縮れ毛よりもうちょいましなものはなかったのか。
でもエジプト付近の地名としてはそういう単語はないみたい? いっそう気になる。
ガイドブックやファンブックではダフィラのつづりは「Daffera」だから、あんまり関係はないのかな。たまたま似たような名前があっただけかな。
んで、その後そのお店に行くことになったので正確な位置とつづりを覚えてこようと意気込んでいたのですが、なんということでしょう、改装されて地図の一部が見えなくなってた…。ちょうどDafiraがあった気がする部分にステッカーが貼られていた。
ダフィラは蜃気楼の彼方に消えてしまったのだった。完。
15章のトゥルースのこのせりふいいなあ…「あっ、いいうわさないんだ、悪いうわさばっかなんだ、あっ、まじで?」って悶え興奮する垂涎ものの一言である。
あいつらそんなとこに生きてんだろ…。
ファンブック準拠ならダフィラ生まれだから、そういうとこの日を受けて砂浴びて水吸って育ってきたんだろ?
出身地不明のガイドブック設定ならひょっとしたらほかのラグーンの生まれかもしれないから、そこからこのいいうわさのないラグーンへと来た日を境にだんだんダフィラ色に染められていったってことだろ!?
ああああああもおおおおおおくそおおおおおおおどうしようたまらん!
まずない…よね?
20100701
LV114
アサシンについての根本的疑念。
ひょっとするとサジンとゼロシンって兄弟の可能性がないか?
私にとっては彼らが兄弟だった場合のメリットよりもデメリットのほうが多いため兄弟仁義はあまり希望しないのですが、ふたりが兄弟である可能性を否定する文言も作中特には出てこないので、これどうしたもんだろう。
むしろ兄弟ではないと断定できる材料のほうがない。兄弟ほど近しいつながりではなく、たとえば従兄弟とかだとしても。「あいつらの血がつながってるなんてまずないだろう」というなんとなくの印象しか頼るものがないです。
一応、万が一に備えて心の準備はしておこうかなあ。いらん心配かなあ。
あ、「兄弟じゃないと考えてる人が多い」というのが当然の前提であるかのように話をしてしまったけど、世間一般ではどうなのでしょう、彼らを兄弟と捉える向きは多い、のか?
知られちゃいけない
20100529
LV113
ゼロシンに彼の母親の住まいを指して「実家」と呼ばせてみたが、妙な違和感。なにも間違っちゃいないのになぜだろう。
ダフィラのお風呂はどうなってるのかな。
中東の風呂文化を調べてみたらハンマームというのがあったので、ダフィラにも民衆が集まるそういう感じの共同浴場があるのかな。
アサシンのふたりもそこを利用すると仮定して、普段はいいけど本気のお仕事のあとはどうしよう。他人の血液なり体液なり糞尿なりのついた体で公衆の風呂屋へと通うわけにもいくまいて。
職業柄、サジンとゼロシンはダフィラの庶民(3000ピローで夜逃げ身投げのあの家とか)よりは金を持ってる可能性が高いんじゃないかなと思うんですが、かといっておうちにお風呂をこしらえることができるほど裕福ではないような気がする。
そもそもダフィラに「個人宅に風呂」という文化はあるのかしらん。
どこの家にも生活用水の確保のための水がめ的なものは置いてあるだろうから、少しの汚れなら軽く洗って拭っておしまいですみそうだ、だけどそれじゃあどうにもならないときだって時々はありましょう。
人が少なく真っ暗な夜ならばこっそり井戸とか洗濯用の水場に行って水をかぶるというのも可能だが、日の落ちた砂漠地域でそれをするのは水垢離さながら、すっごく寒そうね…(個人的にはその寒さで己の生業や出自を心底後悔するがいい、と思うけど、そういう感情は今は置いとく)。
どうしよう、困ったな。
数年前、サジンとゼロシンの生活を想像する上でアサシンの寄り合い的なものがあればなにかと便利だと思ってた時期があったんだけれど、アサシンがアサシンとして気がねなく利用できる風呂があったらいいねえ、のびのびゆっくりできるねえ、などと考えていたらまたも寄り合い説が頭を離れなくなってしまった。
できればこの説はなしのほうから攻めていきたいので、ほかになにかいい方法を探したいな。
タイトルが思いつかない
20100509
LV112
アサシンふたりの名前を並列する場合、私の中では「まずサジン、次いでゼロシン」の順で固定になってます。
一周目をやってた当時、15章のダフィラパートではまだどっちがサジンでどっちがゼロシンだかわかってなくて、アサシンが艦に来てようやっと個体の認識ができるようになったんですが、「あの仕事についてはまかせといてくれや…」のせりふが好きでまず先にサジンを個体認識したのでそういうことになっている。
あと「ゼロシンとサジン」より「サジンとゼロシン」のほうが語呂がよく感じられるから。
でもね、本当はね、彼らが加入した直後のステータス画面では「ゼロシン → サジン」の順なのでね、あのね、ゼロシンごめんね(ごめんねってこともないか)。
「相棒」と書いて「とも」とは読まない
20100321
LV111
しつもんおへんじ。遅くなってごめんなさい!
ゼロシンって「友達」についていろいろ誤解、もしくは勘違いしてそうですね。「ねぇねぇ、サジン。友達っておにぎり、はんぶんこするんだよね~」とか。吉元さんはゼロシンはどんな勘違いをしてるとおもいますか?
おにぎりって! このゼロシンかわいいなあ。
すごい言いがかりだけど、ゼロシンは友達・友情の定義やそのあり方について誤解と幻想と過剰な期待を抱いていそうな気がします。
たとえば「困ってるときに助け合うのが友達である」等、真剣に思ってる、みたいな。「それは大変美しいけど、広い世の中、薄っぺらい友情、いつわりの友情ってものも存在するのだ」とでも言おうものなら、「それ友達じゃない」って真顔で正論(?)返してきそうなイメージ。
で、いろいろ考えた結果、私はわけがわからなくなった(その混乱ぶり)ので話がぽーんと飛んじゃうんだけど、ひょっとしてこの人の頭の中には「仕事仲間」「友達」っていう概念はそれぞれあっても、「仕事仲間だけど友人でもある」という選択肢がないんじゃ、って思いに至りました。
あと、その縁遠さゆえ友情や友達を異常に神格化してしまってて、頭の中に「友達>仕事仲間」というヒエラルキーを作っていそうなかんじ。
具体例ひとつめ。
(コマの都合と私がサジンに持ってるイメージのせいでさらっとしたせりふになってしまったが)実はサジンが↑の3コマ目ぐらいには相棒を重要視してるのだとしても、ゼロシン的にはやっぱり
…となってそうだなと思います。どんな情があったとしても、それが友の情でなければ腹の足しにもならないのだと。
それどころか、たとえサジンが
という性格で、「ふたりの間に友情はない、だがしかしそこには絶大なる信頼関係が存在していたのだ!」ってな場合でも、相変わらずゼロシンは「孤独」という言葉で自分を表していそうだと思う。
ふたつめ。
私自身の話ですが、共通のいい思い出や「あのときあの場所にいたから通じる会話」のたぐいがある相手には「ちょっと仲良しになれてる?」って思って(錯覚して)しまうことがある。なのでそれをアサシンに当てはめてみよう。
(↑ダフィラに存在する人名という意味で「リベロ」を使ってます。あのリベロではないです)
仮にゼロシンがサジンとの間にそういうものを↑の程度には持ってるのだとしても、それが仕事上で起こった出来事なのであれば結局この人
…とか言ってそうな気がします。
ここまで書いたがどうもうまく言えない…。なんかこう、ゼロシンは
サジンは「『仕事上の』相棒」であるから、彼となにを話そうとも「『仕事の』話」であるし、どんな記憶を共有していようとも「『仕事の』思い出」になる
的な勘違いをしてるんじゃないかなーと思うことがあるのです。対サジンだけじゃなく、もしアサシン仲間がいるのだったらその人も含め。
この思考で行くと、相手とどれほど親しくなろうが、互いが互いにとってどれだけ重要な存在になろうが、なにがあったってゼロシンの気持ちは「相棒 → 仕事 → さびしい → 孤独」のチャートを無意識に辿ることとなる。どうしようもない。
んで世の中のどんな情よりも友情を重要視してる(母への愛情のみ特例で不動の一位)ため、たとえ超ラブラブな奥さん(彼女)がいるとしても、ないものねだりで彼の心はやっぱり孤独。
そのくらい偏ったあこがれを持っていそうなイメージです。
ただ「だから」と言うのか「だけど」と言うのか、ひょっとしたらゼロシン自身が気付いていないだけで、友達と言える存在はとっくにできてるのかもしれない、意外といっぱいいるのかもしれない…とも思わなくもない。
上のふたつの具体例は「可能性はゼロじゃない」ぐらいのもしもアサシンのつもりなんだけど、その前提があるにしてもちょっと違和感がありました。
↓私が普段イメージするふたりの仲のよさはこのくらい。
ゼロシンはだいぶしゃべる。気持ちとしては「仲良くなれたらいいなあ」「まあ仲良くなれなくても別にいいや」「所詮相棒、たかが相棒」「相棒との会話は全部仕事の会話」が混在してるかんじ。
サジンはそんなことは気にしてなさそうなので、私もそんなこといっこも気にしないでせりふ描く。よってしゃべったりしゃべらなかったりイメージが適当です。
我ながら会話が多いよと思うので、本当はもっと「仲良しじゃない」「仲悪くもない」のぴったり中間地点の会話頻度を描けるようになりたいんだけど、しゃべらせないとモノローグまんがになって話が進まないので割り切った…。
んで、元気いっぱいな初登場時のせりふにキャライメージの重点をおいたアサシン(初代)版。
15章・16章のゼロシンは友達がどうとかそれほど言わない(ちょっとは言う)ので、あんまりひとりだの孤独だの考えてるイメージがないです。そのぶん「かあさん」しかネタがないので、受けるマザコン感がものすっごい。
まだこっちのほうが原作のしゃべらなさ具合に沿ってるなあ。
「おーい、相棒! みつかっちゃ(っ)たよ!」なサジンは、おまえちょっとほっといてくれよってぐらい人懐っこそう。あと関係ないけど、その初めての発言の脱字のせいで舌足らずな印象。
それにしても、「かあさん……げんきですか? ぼくは……ひとりです……。サジンとも仕事の話しかしません。さびしいです……こどくです……。」のせりふはいいなあ。ゼロシンの感情、置かれてる状況、マザコン度、サジンとの親密度(ていうか非親密度)等々、いろんな情報がぎゅっとつまっている。
ふたりが最終的に友達になれてたらそれはそれでほほえましいと思うけど、友達ほしいのにできないってほうが今のところ好きです。ゼロシンに対しての「きっとできるよ、応援してるよ」の気持ちと「おとなしくあきらめな」の気持ちが同時に味わえるため、ダブルでうまい。
がんばれ&ざまみろ。