残機×0 絵とまんが

バハムート ラグーン

(忍術LV031-040)

右手に馬券 左手に牛丼

LV040

20050907

アサシンの装備、せいぜい服の下に鎖帷子着込んでるぐらいの軽装備かなと思っていつも描いてるんですが、たまに見た目の守備力を上げてみたくなります。一応ドット絵を思い浮かべながら描いたつもり…だ!

でも、ソードワールドじゃないけど、金属鎧だとがちゃがちゃ言いそうだなあ。忍べるかな。それはそれでダフィラの太陽の下でなら目玉焼きができてあらまあ便利。
(余談ですが、炎天下の車のボンネットで焼く物の例えってなんで大概目玉焼きなんだろう。肉だってクレープだってよいではないか)


アサシン、無意識のうちに両の手に忍剣なりよくわからんものなり持たせてしまいます。
両利きというよりも、「得物を固定できさえすれば使うのは足だろうと口だろうとどこでもよくて、己の身体に備わっている部位を探したらたまたま動かしやすいのが手だった。しかもふたつもある、これを使わないわけにはいかんだろ」という感じ…。
二刀流はクロスナイトの特権だから、あんまりやっちゃいかん気もする。

ゼロシンとかあさんについて・その2

LV039

20050906

以前「ゼロシンのかあさんてもしかして存在しないんじゃ…」というコメントをいただいたことがあるのですが、最近とみにそこんとこが気になっています。

息子がどれだけ手紙を送ろうと、母から返事が届くことはゲーム中一度としてない。ゼロシンのせりふから察するに親子関係はなかなかか悪くない様子…どころか良好そうなのに、決して来ることのない返事。
実はゼロシン手紙書くだけ書いて送ってないというのも考えられるけど、どうやら仕送りしてるのは確実らしいので、普通ならそのときに一筆添えるはず…。


どうして返事が来ないんだろう。

こういくつか考えてみて、最後に「かあさん存在しない説」の登場です。
返事が来ないのは、かあさんなんてほんとはいないから。ではなぜゼロシンは手紙を書き続けているのかというと、想像上のかあさんとかかわりを持つことで少しでも寂しさを紛らわせたいから。
アサシンなのに友達ほしがってるというおかしな点も、天涯孤独(今勝手に仮定)の身の上で、誰かとなにかしらの形でつながりを持っていたい気持ちの表れ…と解釈すると非常に合点がいく、気がする。

個人的にはゼロシンには幸せになってほしいものの、元暗殺者が一生平穏にぬくぬく暮らすことを手放しで良しとはしたくない、とも思います(オレルスで殺人という行為がどう捉えられてるか、軍に雇われたアサシンを軍人とするかどうかにもよるだろうけど)。報いを受けろというのとはちょっとちがうけど、幸せの中になにかしらマイナスなできごともあってほしい。歩いてるとすぐ靴に砂が入って不快になるとか、外出するたびに犬のうんこ踏むとか、そんなんでいいから…。
ゲーム中のゼロシンを見てると「かあさんといっしょに暮らしたい」という気持ちを多少なりとも持っているように思えるが、かあさんは既に亡くなっている、もしくはとうの昔に別れたきりで再会できる可能性がないのなら、ゼロシンの希望が叶う見込みは皆無。そういった叶えられない願いを持ち続けることをマイナスなできごとと考えるとするならば、ゼロシンにとってこれ以上の非ぬくぬく・非平穏はないんじゃないだろうか。
(ゼロシンがかあさんかあさん言ってるのは、単にほかに呼びかける人・話す人がいないから自然と肉親に意識が飛んでるだけであって、別にかあさんがゼロシンの全てってわけじゃあないと思う。でもゼロシンとかあさんの間にはつい普通以上に強いなんらかの結びつきを求めてしまいます)

実際は後半の章で「この仕事が終わったら帰ります」というせりふが確認できるので、かあさんはきっとどこかで平凡に暮らしながら息子の帰りを待ってるんだろう…とは思うんだけど、艦に来てからのせりふの十割がかあさん宛というゼロシンの異常なまでの執着の裏には、なにかアレなものが存在しているように思えてなりません。
…でもやっぱりなにもないんだろうなあ。ゼロシンだもの。

イメージ今昔

LV038

20050905

サジンとゼロシンに対してのイメージ

どうしてこんなことに?


アサシンにも食事とか掃除とかの当番回ってくるのかな。くるとしたら、一人の皿にだけしっぱいクッキーのかけら入れたり、ベッドにこっそり毒針仕込んだり、やりたい放題じゃないか。誰がやったかばればれだけど、元々ばれてるからかまわない。
しかしサジンがそういう方法をとることはなかった…。アサシンのプライドでもあるのかなんなのかあえて直接手を下すことを選び、そしておおかたしくじった。

アサシンとプチデビとかあさん

LV???

??????

既存のまんがとオチがもろかぶりだったので多分永遠に未完です




つづきます(…の予定でしたが未完)

おまけ(描きかけ)

このあとの展開どうするつもりだったか忘れちゃったなあ…。

ダフィラで暮らそう

LV037

20050728

7月も終わりです。すっかり夏です。暑いです。

さて、暑いといえばダフィラ。
国全体がやさぐれてそうなダフィラの気風にはものすごいときめきを感じます。
圧政のもと暮らす国民たちは枯れて疲れて見える。しかし、その圧政を敷く国王という明らかな共通の敵がいるからこそ、民衆が団結したときのパワーはそりゃあもうすごい…というイメージがあるダフィラ。国民を見渡したときぱっと目に付くのは疲弊しきってあらゆることをあきらめた大多数の人々、でもちょっと潜ると強い意志をもった集団がけっこういる。たとえばリベロのモテモテ団。
元々貧富の差が激しく国民の不満は少なからずあったであろうダフィラを革命を起こそうと決起する若者たちが出てくるほどに悪化させた大きな原因は、上の人たちがグランベロスに取り入り援助をおこなったことだとか。その金がどっから出ているかといったら、税金的なものから…の気がする。そら若人も怒る。
関係ないけど活気のある闇市とか立ってそう。

それはそれとして、ダフィラに住んでみたいです。
石造りの家を見て回りたい。他人の家にずけずけ上がりこもうとして住人にやんわり止められ、つまらないもの=ロングソード10本頂戴してみたい。黄金色の王宮の秘密の内部をこっそり覗いて追い返されてみたい。罪のない民の家からぬけぬけと3000ピローを盗んでみたい。まかり間違ってアサシンを雇うことになったとしても、オプショナルはつけない。例の3000ピローはそっと懐におさめよう。

しかし、夢だの希望だのという温い甘っちょろい考えを捨てて本当に真剣に思案した場合、私ははたして本当にダフィラで生活することができるのだろうか…。
上に挙げたイメージは推測でしかなく、判断材料になるとは到底思えません。慎重に確定事項を選び出し、それだけをもとに考えなくちゃだめだ。

確定事項その1、「(日中)べらぼうに暑い」。
これが間違ってたら私はバハラグのカセットを窓から大空へとぶん投げようぞ…。

確定事項その2、「一部を除き、国民の生活はかっつかつ」。
圧政に苦しむ国民が余裕ある生活をしてるという話は未だかつて聞いたことがないので、これも確実なはず…。そして私がダフィラに住むとしたらこの層に属するだろうこともまた確実。

ふたつしか浮かばなかったけど、以上を元に検討してみよう。

~検討中~

答えは2秒で出ました。「無理」。暑い。暑いの苦手。


そういえば前雑記で「ダフィラには乾期と雨期があるイメージ」と書いたのですが、なんでそんなことを書いたのかわからず悩みに悩む程度には、私は「ダフィラに明確な雨期というものはない」と思っています。
ダフィラは砂漠。だから砂漠気候。砂漠気候に雨期ない。雨期があるのはステップ気候。混同していたのか?

↑中学時代の地図帳(旧ソ連の文字がところどころにあって少し戸惑った)に載ってた気候区分なので、今は別の単語があるのかもしれません。

LV036

20050719

ドット絵を見つめて描いたアサシン。


いつも版。様々なものが省かれたりくっついたり…。


しかし、ドット絵、なんであんなにかわいいんだろう。

私にとって、アサシンのドット絵イコールほぼ「あの耳」、です。
額あてとの接点から顎先あたりまでのあのゆるやかな曲線、頭の側面部からまっすぐおりてきているわけではなく、若干後ろ側から前へとひっぱるように描かれたあのライン。かわいいじゃないか。実にぐっとくる。

耳の先端は少し布地が厚いように見える。
飛び跳ねたとき(ガイドブック6ページ、でかいほうのゼロシン)も、耳は浮きはしない。おもりかなにかが仕込まれていそうな気もする。手前側が特にあやしい…。

頭巾の材質は布以外の何物でもないとは思うんだけど、見てるとなぜか水を加えて練った小麦粉(少し寝かせたもの)が連想されます。もったりしていて重みがあるところがいくらか似てる気がする。
ということで、アサシン=グルテン。

と思ったんですが、すあまのほうがイメージに近いな。もうこうなったらすあまだ、すあま。
アサシンはすあまでできている!

センダックにはわかる

LV035

20050716

ゼロシンはほんとのとこどうなの。


最早これ「アサシンについて」じゃないです。隊長について?

100ポイント

LV034

20050713

「初期レベル(LV26)のパラメータはゼロシンのほうが優秀」の件について、ありがたいことにLV53時のデータを教えていただくことができました。
どっこい、これがえらいことになっております。

初期レベルではゼロシンがサジンを25ポイント上回っていたパラメータの合計値の差、LV53時はぴたり100。サジンのほうが上です。サジンが頑張ったんだかゼロシンが怠けてたんだか…。
LV26の時点でゼロシンが負けてるものといえば攻撃と防御だけだったのに、LV53では勝ってる項を探すほうが大変な有様。サジンは大器晩成型なのか?

バハラグは「パーティー」コマンドでのアイテム使用が行動にカウントされません。SP / MP切れでガス欠になったとしてもマジックジンさえあればどうとでもなる。
なので、SP / MPの値はユニットの性能にはそれほど関わってこないと思う…んだけど、ゼロシンのSP成長率はさすがに見過ごせません。26 → 53のレベルアップで4ポイント上昇。もうちょっとばかり上がっても罰は当たらんのじゃないかな…。
もしかしたらナイト系はこれよりさらに成長しにくいのかもしれないけど、アサシンは元のSP値がわりと高いので上昇値にも期待してしまいます。

話はそれるけど、「忍術のダメージ量は魔力値依存、なのに消費するパワーの名称は『MP』ではなく『SP』である」というのが気になってしかたがない。
忍術 = 魔法なんだから素直にMPでいいじゃないか。どうしてもSP表記を望むなら、魔力値ではなく攻撃値でダメージ算出したらいいじゃないか。なのになぜこんなややこしいことをする。

型にはまりたくないアウトロー気取りなのか、哺乳類にも鳥類にもいい顔したいこうもり気取りなのか、ほんとはMP表記だったけど間違えたのか、ほんとは魔力依存じゃなかったけど間違えたのか。
私としてはふたつめを推したいです。こうもりめ…。


ものすごい労力が必要だろうけど、1レベルごとにパラメータ調べて全キャラの成長率をグラフにしたら面白いかも、と思いました。「成長率はレベルで変化するのか、それともキャラ固有で常に一定なのか」「最も優秀な成長率を有しているのはどのジョブ / キャラなのか」…気になることたくさん。

LV033

20050626

サジンもゼロシンも砂漠のラグーン・ダフィラにいたのだから暑さには強いはず。

でも、アサシンとしてのフル装備「覆面+あの服+α」で炎天下をうろつくことなんて反乱軍に入るまではそうそうなかったんじゃないかなと思います。あのアサシン装束、ゼロシンの黄色(薄茶色?)はともかく、サジンの黒は完全に太陽が沈んだあとに動き回ることを想定して選ばれたものな気がする。
日が落ちたあとの気温なら覆面して立ち回ろうとなにしようとまだなんとかなるだろうけど、ダフィラじゃなくても真夏のお昼どきはさすがにきつそう…。

ほかのゲームに出てくるアサシンならびにそれっぽい職の人からビンビン感じる「感情なんて捨てました」オーラ。これこそがアサシンをアサシンたらしめている要素の最たるものじゃないだろうか…と今突然考えました。
こういうときぱっと浮かぶのはFF6のシャドウ、彼は暑かろうが寒かろうが嬉しかろうが悲しかろうがそれを顔に表すことはないんじゃないかなという感じがします(インターセプターにはわかるかもしれないけど)。そもそもそういう感情を自覚できない域にまで到達しているのかもしれない。
しかしバハラグのアサシン(特にゼロシン)にはそういう雰囲気を微塵も感じません。暑けりゃ暑いで一応我慢はするだろうけど、うっかり表情に出てることもしばしばありそうな気がします。それか、顔には出てなくても心の中では大騒ぎしてそう。
よく言えば「人間味がある」、悪く言えば「アサシン失格」、そのまま言えば「なんか変」。


アサシンの軽鎧(+覆面)とナイト・アーマーたちの重鎧(+兜)、夏場により大変なのはどちらだろう。
蒸し暑さだけで勝負するなら後者に軍配が上がるだろう。しかし顔に薄布一枚着けた状態というのもなかなかあなどってはならないしんどさではなかろうか。呼吸は阻害されて苦しいわ、呼気の熱は生温かいわで脳にじわじわくる。

なにより覆面の一番の売りは「布地の厚さ次第ではサウザーの隣にだって逝ける」ってとこだ。布地の厚みと危険度は往々にして比例する。快適性はそれに反比例する。だからといって覆面を取り去ってしまうのも、それはそれで大変危険である。

アサシンとクルー

LV032

20050616

月のない夜は背後に気を付けろ

と思ったけど、月が出てても気を付けたほうがいい。朝でも昼でも気を付けたほうがいい。クルーは気がぬけない。

クルーってなんのためにあの艦に乗ってるんだろう…と突然思いました。操縦の手伝いしてるでもない、掃除してるでもない。やってることといえばエロ本の販売、ビュウの激励、スパイのお仕事、金持って逃亡etc。雑用係なのかな。


これじゃあ「アサシンについて考える」じゃなく「クルーについて考える」だ。

いあいぎりを斬る

LV031

20050616

アサシンのとりえってなんだろう。

攻撃力はクロスナイトとナイトに劣る。
防御力はパレスアーマーとヘビーアーマーに遠く及ばない。
移動力はライトアーマーととんとんだけれども、牽引力がなくては意味がない。
フィールドコマンドの効果範囲ではウィザード・プリーストを凌駕するものの、いかんせん魔力と人数の面で威力に問題が残る。ワーロック・ドラグナーとは比べるべくもない。プチデビはもはやお話にならない。
失礼ながら最弱ジョブとの呼び声高いランサーのジャベリンも、4人かためてかつ敵が射程内にいるのであればそれなりにHPを削ることができる。ジャベリンの「狭く深く」とにんじゅつの「広く浅く」、どちらを選ぶかは状況次第だけれど、ダメージ量重視ならやはり前者。

結局アサシンに要求されるのは広範囲即死技「いあいぎり」のみか。
ならばそれについて考えることはアサシンについての見解を深めることにつながるはず…ようはアレアレ、今日はいあいぎり考です。

この項を記すにあたっては以下の表記を使用する。

「暗殺」 … 一般的単語の暗殺。基本的には辞書の意味に同じ。
(アサシンズ関連で使うときには背後からブスリ…とか寝込みを襲うとか、「相手に気取られる前に命を絶つ」の部分に重きをおいてます。天誅シリーズでいうところの「忍殺」。辞書によっては「ひそかに殺すこと」よりも「政治的理由から隙をついて殺すこと」が強調されているのでもしかしたらアサシンズの仕事内容にはあまりふさわしくない名称なのかもしれないのですが…)

「あんさつ」「いあいぎり」 … アサシンのフィールドコマンド、にんじゅつのうちのひとつ


まず気になるのは、いあいぎりとはなんなのか、ということだ。

いあい ヰアヒ 【居合(い)】

(座っていて)すばやく刀を抜き、ひと打ちで敵を斬り、すぐに刀をさやに戻す剣術の一法。

三省堂・新明解国語辞典(第四版)より引用。なるほど、ようするに斬るってことだ。イメージとしては「抜刀して集団の敵の中を駆けぬけ(描写こそないがここで斬りつけている)一旦停止、刀を鞘におさめると同時に背後の敵がくずれおちる」という時代劇コントでよく見かけるあれだろうか。
しかしアサシンの場合は暗殺が基本であるから、いっぺんに多人数を相手とするのは得策でないと思われる。敵のところまで行って抜刀 → 斬るを人数分くりかえすことになるだろう。


端的に述べよう。いあいぎりは、おかしい。

フィールドでの効果は射程0、範囲4(図A)。升目に換算すると自分のいる部分を除いて24升。1升 = 1グループの最大数は4体なので、理論上では4×24=96体もの敵を一瞬のうちに葬り去ることができるわけだ。なんともアホな効果である。
同じ即死効果をもつプリーストのエクソイズム(図B)は射程こそ広いものの、効果範囲は1升のみ。いあいぎりがいかに常軌を逸しているかがおわかりいただけるかと思う。

いあいぎりのおかしさはこれだけにとどまらない。
「いあいぎりの発動に際し、使用者はHPに一切のダメージを受けない」のだ。一撃のもとに屠ることかなわずとも、生き残った敵によってアサシンが傷を負わされることはない。100%ない。なぜかない。すなわち相手に気付かれる前に――万一気付かれたとしても、こちらに向けられた剣を確実にかわして――標的をしとめているというわけである。

たとえそこが薄暗いダンジョンの中だろうと、見通しのよい野っ原だろうと、自らの存在を気取られることなく対象を始末する。96人を斬り捨てる。
これぞアサシンの仕事である。


さて、ここでひとつの疑問が生じる。いかに抜き打ちが素早くとも、96体もの敵に連続して斬りつけることなどはたして可能なのだろうか?

ただ斬りつけるだけならば、最寄の八百屋で購入したきゅうりを軽い水洗いののちまな板にのせ、包丁を96回ふりおろしてみれば答えは出る。もちろん可能である。
しかしここで重要なのは「いあいぎり発動からわずか2~3秒で即死効果が表れる」ということだ。きゅうりを96回切るのだってそんな短時間じゃあむりってものなのに、警戒心と殺気ある生物に対してそれをやるとなれば、要求される身体・戦闘能力は人智をこえたものとなるだろう。もはや超能力。
けれどこれはプレーヤーをいらだたせないためのゲーム上の演出であり、実際にはあの一瞬のエフェクトのあいだに10分、ひょっとしたら1日が経過しているという可能性も考えられるため、この件は無視しても支障ないものと思われる。
それよりも「96体に斬りつけても斬れ味のかわらない刀とは?」「なにもない平地に96体の敵がいる状況において、相手に悟られず斬りかかる方法とは?」などの点から信憑性を検証し、その上で96体連続斬りの可能不可能を判断することが望ましいのだが、残念ながら私はその術をもたない。

だが、事実アサシンたちはそれをやすやすとやってのけるのだ。可能だと答えるよりほかにあるまい。


とはいえ、これではさすがに極端すぎるというものだ。生体兵器としてはたしかに優秀、しかしアサシンはあくまでアサシンであり、ジェノサイダーではないということを忘れてはならない。
人間、あるいはモンスター96体を殺害することが人としてどうかなどと倫理について言うつもりはないが、ヒトとしてはなにかまずい。なるべくなら人類(と刀)の能力の限界はこえずに立ち回っていただきたいものだ。

実際のところいあいぎりの成功率は100%ではないし、効果範囲の升すべてが敵ユニットでうまるということも(未検証ではあるが)まず起こり得ないはず。となれば、もう少しありえそうな設定でもって話をする必要があるだろう。

例 「いあいぎりの効果範囲内に10体の敵がいるとする。
   アサシンがいあいぎりをおこなった結果、3体に即死効果があらわれた」

この文章が表す状況において、アサシンの行動は3通り考えられる。

弐もしくは参のパターンならば、敵が1体だろうが96体だろうが、ある程度は応用がきくはずだ。現実味もなくもない。


少し見方をかえてみよう。「いあいぎり」といかにもな名がついているが、先に挙げた「居合」とはまったくの別物であるという可能性はないだろうか。

いあいぎりを直接戦闘で使用したときのエフェクトを思い出していただきたい。「画面が赤く染まったのち、青白い閃光が床にそって右(使用者側)から左(敵側)へと走る」というなんとも曖昧なものなのだが、注目すべきは使用者であるアサシン。実は彼ら、発動時に印を切るような動作こそすれ、肝心の刀には触れることさえしていないのだ。
これは一大事である。

「いあいぎり」なのに刃物を使わない、そんなことがあってよいものなのだろうか?
あまりに素早い動きのために静止しているように見えるだけなのでは?

だがしかし、ヘルプメッセージは非情にもそんな思惑をばっさり斬り捨ててくれた。彼(ヘルプメッセージ)によれば、いあいぎりは「射程0、範囲4の死の『魔法』」なのだという。刀に触れる必要性などかけらもないのだ、と言わんばかりである。
いあいぎりだけではない。すべてのにんじゅつは「魔法」であると彼によって断言されているのだ。言われてみれば「かとん」「まやかし」などはイメージ的に技よりは魔法に近いと思えなくもないし、事実、にんじゅつの攻撃力は魔力に依存しているではないか…。
となると、いあいぎりも剣技ではなく超常現象寄りのなにかなのだろうか。

たとえば…

などなど。己の手で一太刀もあびせることがないのになぜ「いあいぎり」という名前なのかという疑問については、「なんかそれっぽくてかっこいいから」という答えを強く推したい。

最後のオーディン法ができるか否かはムニムニの成長度合によって決まるため、もし斬鉄剣を使えない状況にあるのなら他ゲームの同名召喚獣に袖の下をわたして登場願うのでもかまわないだろう。
(個人的には過去散々世話になったFF5のオーディンをおすすめしたいが、額が少ないと登場するやいなやグングニルをあさっての方向に投げつけ、挙句即刻帰ってゆくので注意されたし)

余談だが、フィールドで使用した場合、エフェクトの閃光は左から右へと逆走する。おそらく深い意味はない。
そしてそれはショックウェーブのエフェクトとよく似ている。もしかしたらまったく同じなのかもしれないが、やはりこれにもおそらく深い意味はない。


閑話休題、やはりいあいぎりと名がついているのだから、刀を用いた「技」であってほしいと思うのが人情というもの。発動中のアサシンの行動は3.2項の弐あるいは参をひとまずの答えとしておきたい。斬りつける動作が描写されていない点については、「アサシンが根性見せてものすごく俊敏に動いているから肉眼では見えない」でむりやり解決だ。

そして一番の問題が残った。「にんじゅつは魔法=いあいぎりも魔法」。こればかりはどうあってもひっくり返るまい。
どうしよう。
…きっとあれだ、うまくいきますようにって最初にいつも無意識のお祈りをしてしまうのだ。お祈りはなんとなく魔法系統の行為だから、そのあとの斬る動作も魔法扱いにされてしまうと。
(祈りと言っても捧げる相手は特定の神ではなく、漠然としたなにか、あるいは自分自身なのではなかろうか。アサシンが神を信じているとは思い難い)
よし、これでいこう。

「いあいぎり(の正体についての私の考え)」

時間内に往復可能な距離にいる敵の中から特に隙のある者を一定数選出、軽く祈ったのちそれに斬りかかり、命を絶つ技。

いあいぎり考、これにて終了。ようするに飽きたのです。

にんじゅつにはもうひとつ即死技が存在する。その名も「あんさつ」、実にわかりやすい。
エフェクトもこの上なく明解だ。画面右上に現れた巨大な手裏剣が敵に向かって一直線、グサリ、敵死亡。いあいぎりのように発動中のアサシンの行動にあれこれ想像をめぐらさずとも、エフェクトがすべてを物語っている。

残念ながら射程0、範囲2と効果範囲が狭い(図C)ためにいあいぎり習得後はほぼ忘れ去られてしまう術ではあるが、こだわりをもってあえてこちらを使い続けるのも一興だろう。

そして、ここにもつっこみどころは存在した。
先程「手裏剣が敵にグサリ」と述べたが、実はこれ、携帯していた手裏剣を投げたわけではないのだ。エフェクト冒頭、まずは紅い球体が出現、それが巨大な手裏剣に変化する。のちに敵にグサリ、である。
ということはこの手裏剣、鉄だとか真鍮だとかそういったありふれた材質でできているわけではない。あえて言うなら球体製だが、ではこの球体は一体なんなのだ。
一見ただの泡のようにも見えるものの、にんじゅつが魔法であるということを考慮するに、即死効果のあるエネルギーや魔力の塊と考えるのがてっとり早い。それを手裏剣状に形成し、特攻させているのだろう。あるいはぶつかったときの物理的な衝撃で絶命させているだけなのかもしれないが…。

しかし、なぜアサシンたちはそんな回りくどいことをするのだろう。わざわざ魔力(仮)を手裏剣状に練らずとも、最初から通常の金属製手裏剣を使えば手間が省けていいじゃないか…そう思うのは、素人の浅はかさゆえなのだろうか。
ならば「金属製の手裏剣を携帯し、それを投げる」「魔力を手裏剣状に練ってあやつり特攻させる」それぞれのメリット・デメリットを考え、なにをもってアサシンが後者を優れていると判断しているのか、さぐってみよう。


わずかな差ではあるが、魔力製手裏剣はたしかに通常のものより隠密に適した要素を多く持ち合わせていると考えてよいのかもしれない。しかしあえてSPを消費してまでこちらを選択するほどの明らかな利点を見出すことはできなかった。
では、他に理由があるのだろうか?

暗殺のひとつである「毒殺」について考えると、手がかりが見えてくる。

記憶が曖昧で巻数・ページ数など明記できず申し訳ないが、毒殺には八方手裏剣が用いられることが多いとの記述が「落第忍者乱太郎」にあった。直接的な殺傷力は四方手裏剣ほどにはないものの、手裏剣に塗った毒物を標的の体内にを入れることを第一の目的としているため、刃が多い=傷は浅くても刺さりやすいほうが有利なのだとか(「八方が実戦で用いられることはない」という意の記述を他の文献で目にした記憶もあるのだが、ここでは落乱を支持したい)。
ということは、属性から考えておそらく毒殺をイメージしているのであろうあんさつに使われるのも本来は八方手裏剣のはず…なのだが、エフェクトで確認できる魔力手裏剣はあきらかに四方である。

手がかりはここだ。

つまり、四方にはなにか特別な思い入れがあって、できれば常にそれを使いたい。けれど暗殺時には八方を選ばねばならない(「選ばねばならない」ってこともないだろうが、仲間に「どうして八方使わないの?」と聞かれてそのたびいちいち説明するのに辟易したなど、理由は無限に創造できる)。それでもなお四方を使い続けるにはどうすればよいかというと…ここでアレの出番である。
魔力製手裏剣(とてもでかい)。
これを用いる場合、敵の体内に毒が入る角度で刺さるように手裏剣を投げられるかどうかなど、余計な心配に煩わされる必要は一切ない。念頭におくべきは「敵にぶつけること」ただひとつ。
したがって毒殺(暗殺)=八方の図式は自然と適用されなくなり、大好きな四方を選ぶことも充分可能になるわけだ。敵にぶつかりさえすれば、形状はなんだって問題ないのだから。

(ということは、一歩間違えたら???型手裏剣を飛ばして暗殺をおこなうアサシンが登場していた可能性もないとは言いきれないわけである。サジンとゼロシンが四方という無難なかたちを選択したこと、これはもはや奇跡と言えよう)

いよいよ魔法とにんじゅつ、ひいてはアサシンとが密接な関係になってきた。どうにかして技への転換をはかりたいところだが、力及ばず。考えつかん。

アサシンといえば暗殺、暗殺といえば刃物でドスッ…という短絡的なイメージをさらに短絡的にし、「アサシン = 刃物」ぐらいの極端な結果を出したくて始めた今回の項ですが、「アサシン = 魔法」という思いもよらぬ答えが導きだされたために私自身戸惑っています。
でも、いつも以上に今後の役に立たないであろう結論を出せて満足です。